コンプレックスの限界

2004年の秋、マガジンハウスから創刊された雑誌『BOAO』

その『BOAOモデル』のひとりに選ばれ、
わたしのモデル業はスタートしました。

翌年すぐに、着物のムック本の仕事を頂き、
そのご縁で小学館の雑誌『和樂』の仕事を頂き

素晴らしい写真が次々とブックに入って
順調に広告の仕事も決まっていくという
とても恵まれた環境にありました。

 

そんな状況にあっても、わたしの頭の中は「肌」でした。

白斑という肌、そして顔の肌。

確かにわたしの顔はシミそばかすが多く
全体的にも老化ぎみでした。

子供の頃の白斑治療で
長期間にわたって多量の紫外線を
浴びてしまったためかもしれません。

 

実は、当時のモデル業界は
フィルムからデジタルへの移行が
ちょうど完了したくらいの頃。

それに伴って、写真の修正の可能域も
格段に広がっていました。

つまり、白斑もシミそばかすの多い肌も
もう決定的なハンディではありませんでした。

もちろん、ひとの心情や手間はあります。

でも、もし、わたしが
他の誰にもない「独自の表現力」を追求していけば
その壁を超えることも、不可能ではなかったはずです。

 

しかしわたしは気がつきませんでした。

表面的な「綺麗さ」だけを追いかけたのです。

ただ、気持ち悪いと自分とさようならがしたかったから。

自分を良く見せる服や物を買いあさって
エステと化粧品で、肌をピカピカに磨いて
「自分のためだけの世界」に生きていました。

 

コンプレックスは
確かに大きな力になります。

でもそれには限界があるのです。

 

2008年の夏手前
その肌から吹き出物が噴き出しました。

頑張っていたその自分から、手のひらを返されることになったのです。

うんざりだったはずの皮膚科に
また、通い始めていました。

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菅原 笑美子
写真家の夫・菅原ヒロシと、東京湾岸でふたり暮らし。モデル業に忙しかった29歳頃、吹き出物に悩まされ代替医療にであって自ら向精神薬を断薬。強まったパニック障害から、さまざまな代替医療を試し自らの病に向き合う。2015年ホメオパスになる。自然療法家として治療にあたり、ライフスタイルとしての健康情報を発信している。
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