「物質としてどうか」ではなく 「機能としてどう働くか」
すべてのものは
「物質としてどうか」ではなく
「機能としてどう働くか」のほうがずっとずっと鍵
わたしたちが持って生まれた肉体も
その「姿形がどうであるか」以上に
その姿形を見せる肉体を「どう使っているか」に
意識を向けるといい
その使い方こそが「人間性」を表すことを
知っているといい
人生は
自分に与えられた境遇を
どれだけ引き受けられるか
だと
本気で思う
笑美子さんは美人だからそう言えるんでしょ
とか
モデルになれるくらいの造形を親にもらって生まれたのだから
とか
何度言われたか知らないけれど
そうね
わたしとあなたの身体を交換してみよっか?
わたしはあなたの身体を、容姿を
愛し、変えていける自信があるよ
わたしは、白斑を乗り越えたかった
「変わりたい、美しくなりたい」と本気で願った
その願いが、行動となり、表情となり
今の私があり、
これからもおそらくずっとそうやって生きる
わたしたちは、
ものすごくたくさんの要素の組み合わせで生きている
複合的な生き物
ある一面だけを切り取って
「いいな~」というのは
憧れ、というレベルなら全然いい
ひとは知覚できる世界にしか生きられないから
仮に「憧れる」ところからでも
知覚できるということは
そこにたどり着けるということでもある
その上で
もしもそれを妬むきもちが湧いてきたり
または
その人のいる場所に本気で行きたいと思うのなら
その人が人生に降りかかるすべてのことを
ひとつひとつ引き受けて生きていることを
知るといい
そして
あなたの人生に降りかかるすべてのことを
引き受けて生きるという覚悟をしてみるといい
その人とあなたの人生は
絶対に同じものにはならないけれど
同じ「輝き」を放って生きることができるよ
人という存在は
固定した物質ではなく
動き続ける機能的な存在なのだから