カメラの前ではどんなひとも裸になる
「カメラの前ではどんなひとも裸になる」
モデルとして、それは知っていた
写真家の妻になって、確信をした
特にポートレイト(人物写真)撮影において
もっとも大きな障害は
撮られている人の「自意識」だと、私は思う
こう見られたい、こう写りたい
自分はこうでこうで、ああでああで
もしくは
こうは見られたくない
こんな自分は知られたくない
もちろん、それでもいい
でも私は苦しかった
そこから脱けようと思った
自意識を越えるには
まず、自分を徹底して知ること
表現者が美しくなっていけるのは
多くの目に観られる
そのこと自体では実はなくて
とことんに、自分と向き合うからだと私は思う
目を、カメラのレンズから外してみる
目を、たまにはつぶってみる
顔も身体も、好きな方向を向いちゃってみる
目線のない顔こそ、もっとも見たことのない自分の顔
ほとんどの人は、自分の横顔をちゃんと知らない
そもそも自分が「自分だ」と思っている自分は
目で見えるものだと、鏡の中の反転した自分で
目で見えないものだと、自意識の先に出てくる自分像で
(こういう自分がいいと思う、という自分)
いやいやそうじゃないと
唯一言おうとするのなら
静かに目をつぶって自分を覗いたときに
浮かんでくる自分の内面で
もしもそれが、本当に自分自身だと思えるのなら
なおさらそれを信頼して
カメラの前でも
自分の内面と会話をする
や~恥ずかしい
あ~ぁ笑ってごまかしてるなぁ
うーん…文句や言い訳いっぱい言ってるなぁ
わ~楽しいなぁ
あ~気持ちがいいなぁ
ゆっくりと呼吸を続けながら
そのとき感じる感情に、ちゃんと溺れる
本物の写真家は、かならずそこから
「それを感じているあなた」を、写し撮ってくれる
感じている、という状態
あなたの知らないあなたがそこにある
そうして、自身を知っていくプロセスが、動き始める
そして
最終的に
ポートレイト写真が写すものは
その人が生きてきた
時間だと思う。
いまのわたしは
ただ、カメラをまっすぐに観て
ただ、そこに居るのが好き。