【 小さな自分 】
毎朝、ベランダで呼吸をしていると
自分が、おおきな自然の中にいることを
感じます。
それは、無限に広がる可能性を
感じさせてくれるものであると同時に
時には、自分の小ささを
感じさせられるものでもあります。
今朝は、その後者でした。
わたしはいま学校へ通い
ホメオパシーという医療を学んでいますが
医療を学びはじめて、たった3年です。
いのちのこと、身体のこと、こころのこと
わたしが知っているのは
ほんのわずかなことです。
本当に知っているのは
自分のことだけかもしれません。
4年生になるにあたって
学生相談を募集することになり
自分には、人が診れるのか
どうして人が診れるのか
ずっとずっと考えていました。
そして、思ったのが今年のはじめ
「自分の経験なら、渡せるかもしれない」
わたしは長いこと、
病と向き合ってきました。
でも、時間とのたたかいを要するような
いのちに関わる病ではありません。
だから、わたしが向き合ってきたのは
病そのものでは
なかったのかもしれません。
うつも、パニックアタックも
確かにとても辛いものです。
でも、症状以上に辛いのは
不安という「こころ」です。
だから、薬を飲みました。
薬が不安を押さえてくれると
信じていられたから。
そのうちわたしは
「薬」がなければ保てない自分を
責めはじめました。
薬だけではなく
甘いものもそう、白班を隠すこともそう
もしかしたら人間関係だってそう
なにかに頼らなければ笑顔を保てない自分の「こころ」を
ずっとずっと責めていました。
だからホメオパシーを学ぶことにしたのは
自分が救われたかったからだと
わたしはよく知っています。
学校では、
解剖生理学や
現代医学的ないのちの捉え方として
病理学、薬学を学びます。
でもたった数年で
いのちのなにがわかるのだろう。
たった数年、文字で頭に入れただけの
温度を持たない「知識」
そんな知識で
なにかを言えるはずがない。
そんな未熟な自分で
なにかを言えるはずがない。
今朝、届いた、そんな声。
だから今日は素直に
小さな自分をお伝えしようと思います。
いまのわたしが伝えられるのは
苦しいという「おもい」から
自身が抜けた「プロセス」だけ。
選んできた手段や方法が、
正しかったのかどうかは、わかりません。
それを選ばなかったらどうだったのかも
やっぱりわかりません。
でもひとつ思うのは、
そのときはそれが、
精一杯だったということ。
向精神薬は、一時期わたしを救ってくれた。
甘いものは、すぐに血糖値を上げてくれ、
一時期こころの安心を与えてくれた。
わたしはのちに、これらをやめたけれど
それは、選択を変えただけ。
そのときの精一杯で
選択しながら生きているだけ。
時間はいつでも
一方向にしか流れないから
過去をやり直すことができないけれど
だからこそ
わたしは思うことにしています。
「あのときがあるから、いまがある」
たとえ悔やむ思いがあったとしても
そう思える「いま」という時間があることに
大きな感謝をしています。
ここに書いていることは、
わたしというひとつのいのちの経験です。
正しさも、専門性も、あまりありません。
これからすこしずつ学びを深めて
自分のプロセス以外にも
なにかを伝えられる自分になれるよう
日々努力していこうと思います。
いつも本当にありがとうございます。
こころより感謝を込めて…
今日も素敵な一日をお過ごしください。