【わたしが自分を「健康だ」と認めなかった理由】
さて、昨日の続き
【わたしが自分を「健康だ」と認めなかった理由】
は1つではなく
時間軸とともに絶妙なグラデーションがあります
3歳で生じた白斑を治療するために
物心ついたころから皮膚科通いをしてきたわたしは
自分というものの「セルフイメージ」を
「いつも病院にいく人=病人」とか
「辛い治療を受けなくてはいけない可哀想な存在=弱者」として固定化していました
そして
3人兄妹の真ん中であり長女だったために
病院に行くような「不調や疾患」こそが
母の愛を受けられる切り札だと感じていたから
「病とされるもの」や「弱さ」を呈すメリットを
よく知っていました
わたしはそのメリットを大人になっても手放さず
うまくいかないことや
自分の力不足を感じることに直面したときも
「わたしが努力しなかったからだ」
と認めることからは逃げて逃げて
「わたしは病気がちでもともと弱い存在だから
成し遂げる力なんてないんだ」
「仕方ないんだ、仕方ないんだ」
と、言い訳し、ごまかしてきたのだと思います
それでも
そういった「病人」「弱者」というセルフイメージは
自分と身近な人だけに掲げる「印籠」で
外の人たちとの関わりの中ではむしろ
わたしは価値が高い存在なんだ
自立した存在なんだ
という虚像を「誇示」してきました
その方法が
モデル業というレアな職業に就くことだったり
お金持ちでかっこいい外国人のボーイフレンドと一緒にいることであったり
20代にしては高すぎた収入をもってして、物やエステで外見を飾りたてることであったり
偉人(努力してきた人)に対して、人はみな対等なんだという態度をとることであったり
まあ、多岐にわたっていろいろです
でもね
それができたのもうまくいっているときだけ
吹き出物が出て、薬をやめ
いろいろな後ろ盾を失ったら
ふたたび乗り物が怖くなって、外出が怖くなって、
人が怖くなって、仕事も怖くなって
いよいよ一番怖かった「自分の弱さ」に直面して
そうして2010年頃からようやく
自分が「やってこなかったこと」を認める作業と
できないことの裏返しである「誇示」をやめる作業に
取りかかりました
後記事に続きます
なんで今更こんなかっこ悪いこと書いているんだろうと思いつつ
こうして過去のことを掘り起こす自分が一番嫌いなんだとも思いつつ
いま、書いておかなくては、という気持ちも消えない
自分のためかな
それでいっか。。。
(photo by たーさん)