わたしと医療の最初の関わり
わたしと医療の最初の関わりとなった白斑治療について、
最初に「身体面」から書いてみようと思います。
白斑は、3歳頃、左脚のひざの後ろにできた
小さな脱色班に始まったと母から聞いています。
それは徐々に広がって
ひざ下は全体に
ひざ上は内側と後ろ側に、広く現れました。
皮膚科通いは、幼稚園の頃から始まりました。
薬を飲むこと、薬を塗ることは、
幼いながら毎日の日課でした。
皮膚科での治療は
最初は様子見程度でしたが
次第に辛いものになりました。
服を脱いでベッドに横になり
最初に反応を高める薬を塗ってもらって
数十分間、紫外線を浴びます。
強い日焼け状態になるので、もちろんひりひりします。
その後、液体窒素による凍結療法。
マイナス196度の液体窒素の中で凍結された金属の棒を
白斑部にジューっと当てるというものです。
低温火傷状態となった白斑部は
その後真っ赤に腫れ、水ぶくれになります。
医師の説明によれば、これらの治療は
眠っているメラニン色素を起こすためとのこと。
痛いですが、頑張れば耐えられます。
この治療よりも辛いのがその後
この火傷状態の皮膚が起こす強烈な「痒み」の方。
強く掻くと水ぶくれがやぶけて
更に辛くなるので
掻くことを極力我慢しなくてはいけない。
また、太ももや内股の部分を掻くという姿を
学校で友達に見られたくない
という思いも強くありました。
ここでわたしが知ったのは、
掻いてはいけないという状況や思いは
痒みをさらに大きくするということです。
わたしはアトピー性の痒みを知りませんが
「痒くて痒くて気が狂いそう」
という感覚は、このときたくさん体験しました。
少なくとも皮膚において
痛みよりも痒みの方が遥かに辛いのだということを
このとき身を以て知りました。
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