はるか遠くから吹いてくる風
わたしがもっとも尊敬する写真家のひとりである
ケイ・オガタさんと初めて仕事をさせてもらったのは
日本最大手化粧品会社の、ヘアケア製品の広告だった。
1日かけて絵を追求しながら
いろんな話をしてくれた中に
この撮影のわずか前日だったか、少なくとも数日前まで
同じヘアケア製品のロケでアフリカに行っていた、という話があった。
そこで撮影し、広告になった写真はみな
女優さんたちの美しくなびいた髪と表情だけを切りとったアップの写真で
背景に象が写っているわけでも
チーターが写っているわけでもなく
撮影場所がアフリカであることは
一見ではわからない写真だった。
日本から、わざわざ撮影スタッフと、激忙だろう女優さんを連れて
遠く離れたアフリカにまで行く意味ってあるんだろうか?と思っていたら
心のうちが伝わったのか?
オガタさんは言った。
「こういう写真っていうのはね、そこに行かなければ、撮れないんだよ」
それからしばらくして
わたしの最も尊敬する俳優のひとりである渥美清さん(寅さんで有名な方)が
アフリカを旅した際のテレビ番組を、たまたま見た。
そこで渥美さんが言っていたことが
オガタさんがあの広告の撮影で
「アフリカに行かなければ撮れなかった」と言った理由を
理解することになった。
「こうして風が吹くだろう?
この風はさ、はるか遠くから吹いてくる風なんだよ
東京の街角にあるようなさ
横ちょのタバコ屋の角に当たって
八百屋の前をかすめて
電信柱にぶつかって
なんていう風じゃないんだ
どこからやってきたのかわからない
いつ生じたものかもわからない
はるか遠く、見知らぬところから
ただ、ただ、まっすぐに、吹いてきてさ
こうして僕の頬をすっと撫でたりなんかしてさ
また遠くへと、吹いていくんだ
これがさ、アフリカの風ってもんだよ」
(一言一句覚えているわけではもちろんないので、
いま、渥美さんが、隣でわたしに話してくれている感じで書いてみた(笑))
「風」というのは「吹いているもの」で
電気で回したファンで「作られるもの」ではない。
「はるか遠く」とは
はるか遠くの場所という意味だけでなく
なるか遠くの時間も、包み含んでいる。
そんな【永遠から永遠へと吹き通る風】
オガタさんもその風を
表現したかったのかもしれない。
わたしたちはいま、あまりにも
「説明的なもの」に慣れすぎている。
テレビの字幕しかり
ドラマのキャプションしかり
映画のポスターしかり
雑誌の写真しかり
「ここで、こう感じてください」とばかり
泣き所や感動のしどころといった「感情の動き」へ
「これを、いいと思ってください」とばかり
美味しい、楽しいといった「快の感覚」へ
あまりに説明的な「指示」が与えられすぎていて
何も言わないこの人のこの表情は、
いったいどういう気持ちなんだろう?
背中を向けたこの人が、
この背中で伝えたいことは何なんだろう?
と想像し、感じ、思いはせる「余白」が
どんどんどんどん減っている。
それは多くの広告なり宣伝が
人々を最短距離で「購買」へ向かわせようとする安直さから
その製品がもたらし得る本当の「豊かさ」を
伝えることがなくなっている、というのと
残念ながら「本当の豊かさをもたらす製品」自体が、
減ってしまっていることの両方だろうと思う。
そういう経済活動に、疑いもせず浸っていると
指示された通りの感情の動きを見せ、購買をし、
また感情を動かされ、購買をし、の繰り返しになる。
きっと本人は「いいものを得た」と思う。
それが、経済優先の
誰かや何かの意図によるものだとは微塵も思いもせず
時間的にも、距離的にも「はるか遠くの尊いもの」を
自分の力で掴み、選択する力も、
そこにこそ存在する人生の自由も、喜びも
失ってしまうのだと思う。
そんなことを、
ここ数日のプロサポート・フォトセッションでの打ち合わせで
思い出していた。
わたしたちは自由と、喜びを、得る権利がある
自分の幸せは、自分で掴む力がある
誰に指示を受けずとも
【はるか遠くから吹いてくる風】を感じることから。。。
体現し、伝えていくよ、
写真と健康という方法で。