その言葉だけは聞きたくなかった

高3の夏に低血糖で倒れたとき
かなり辛い状態ではあったけれど
「過労」の域を、超えてはいませんでした。

ただ「限界」だったのです。

 

無理な生活、心のストレス
それに対して

「もう無理!」

という身体の声が
食欲不振として現れていただけ。

 

その後、砂糖の過剰摂取によって
血糖調節機能のバランスを失っていきました。

 

5月、電車の中でのパニック発作

血糖調節がおかしくなっていることを
知らせるサインだったのでしょう。

そして同時に「止まらないわたし」への
強制的な足止めだったのでしょう。

 

おかげで予備校へ通えなくなり、
食事も、ほとんどのものを受け付けなくなり、
本当に動けません、という状態になった

身体からしたら「やっと止まった!」状態

 

そこで自分を解放し、
心身を休めてあげさえすれば
時間とともに回復した、はずでした。

でも、それが、できなかった。

 

無知だったことも、もちろんあります。

しかし、その後わたしは
実に12年半という長きにわたって
向精神薬を飲み続けることになりました。

 

向精神薬が与える悪作用によるところも
もちろんあります。

でも、振り返っていま、思います。

そのときも、その後の12年間もずっと

「自分を信じる力」 そして
「自分を待ってあげる力」

わたしには、なかった。

 

あのとき医師が口にした、
「うつ」という言葉。
その言葉だけは、
どうしても、聞きたくなかったのです。

 

「抑うつ状態ですよ」

と言われたことは

「あなたはまもなく自殺をしますよ」

と言われたのに等しかった。

 

それは、10歳の頃の経験に遡ります。
わたしが生まれて初めて経験した「人の死」は
優しくて穏やかだった祖父の自死でした。

 

 

最初に、高い声の鳥が鳴きはじめる
そして次第に、波となる

連鎖して伝わる鳥の声、いろいろな音の鳥の声
早朝の空は、本当に命の力に溢れていて
もし自分がわからなくなったら
ここに帰ってくればいいよと、

言ってくれているような気がします。

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菅原 笑美子
写真家の夫・菅原ヒロシと、東京湾岸でふたり暮らし。モデル業に忙しかった29歳頃、吹き出物に悩まされ代替医療にであって自ら向精神薬を断薬。強まったパニック障害から、さまざまな代替医療を試し自らの病に向き合う。2015年ホメオパスになる。自然療法家として治療にあたり、ライフスタイルとしての健康情報を発信している。
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