「凛」と言われて
当時わたしの所属するモデルエージェンシー、サトルジャパンには
モデルSHIHOをはじめとした
錚々たる先輩方がいました。
当然わたしも
彼女たちと「同じように」なることが、
憧れであり、自分の中の義務でもありました。
しかしあの日菅原ヒロシが撮った写真は
カメラの前で蝶のように舞う
先輩方のような「軽やかさ」もなければ
オーラを広がり放つ「華やかさ」もなかった
だからあの写真を見て
憧れの先輩たちが持っているものが
自分にはないのかもしれないと知ることは
とても苦しいことでした。
それでも2007年夏、
それらの写真をBOOKに入れ、
あの日、竹下フミさんがしてくれたように
眉とまつげだけを整えて
わたしはオーディションに向かいました。
その夏のオーディション合格率
おそらく8割。
行く先々で
「凛としている」と言われるようになり
自分では嫌いだった「真っ黒な瞳」が
「目力」として多くの仕事に活かされました。
この経験を経て
わたしもいま、
わかるようになりました。
ひとはみんなそれぞれに
「本質的ななにか」を持っています。
でも、気がつかない。
そして、見ようとしない。
邪魔をするのは自分のこころ。
「同じでありたい」と願うこころ。
自分が作った枠の中での、優劣・比較のこころ。
でもわたしたちは、みんな「違う」
憧れの人とも「違う」
その違いを、
比較ではなく「違い」として受け入れたとき
自分のいのちが動き始める。
「違い」は「役割」として動き始める。