ノアの方舟に、乗る者と、乗らない者。
ノアの方舟に、乗る者と、乗らない者。
それが今どんどん明確になっているのを感じる。
もちろん、
一晩明けたら世界は一変していた、なんていう
わかりやすい展開じゃない。
おそらく現実的には「その一晩」は
数十年〜100年くらいの単位じゃない?
この世界はすでに夜に突入し、
確実に「日」を越えなければいけないタイミングに来ている。
数十年〜100年くらいをかけて
次なる「日の出」を見ようと努力している。
えー!わたしは生き残れるんでしょうか?って?
そう考える者は、方舟には必要ない。
そもそも方舟は、
誰が乗れて、誰が乗れないのか?って話じゃない。
方舟は、スピリットが動かす。
夜明けに必要な哲学のようなものが、
その哲学に生きる者が、
そのスピリットを伝える者として
方舟で必要かつ過酷な時を過ごし、夜を明けさせる。
方舟に乗るのは、幸せなことでも、選ばれし栄光でも、たぶんない。
とてもきついことだと思う。
知らなければよかった。
気がつかなけばよかった。
方舟の存在なんて、夜明けの必要性なんて、
知らずにいられたら、どんなに楽だっただろう。
そう思うことだらけだと思う。
ただ、必要なんだ。
その者が、楽ができないそのスピリットが、夜明けには必要なんだ。
その意味で、方舟は、すでに船出している。
数十年という時間をかけて
「者」は滅んでも伝えられていく「スピリット」を
精査しながら、方舟はすでに進んでいる。