まっすぐ、今ここに、存在するか?
良いか悪いかは別として、わたし自身が、思ったことを、思ったままに、まっすぐに言うのがデフォルトだからか、目の前の人が、思ったことを、思っていないように言った時、「あ、なんか違う」と感じます。
まっすぐじゃない、ねじれてる気持ち悪さでわかるんです。
また、目の前の人が、思ったことを、言わない、を選択した時、それもわかります。
「あ、今、何か飲んだな」とか、「思ったけど(もう少し長いスパンで考えるように)切り替えたな」と感じます。この場合は、食べ物を口にためた時みたいな、咀嚼前の停滞を感じます。
目の前の人が、今、この場に存在する以外のことや、今以外の時間軸のことを考えている時も、わかります。
意識が、ここにない。
見ているようで、見ていない。
五感がここを捉えてない。
「まっすぐ、今ここに、存在しない」
その理由や目的は、いろいろあります。
でも、理由や目的は関係なく、その在り方は、伝わるものです。
ちなみに、わからない、という状態は、もちろんあります。
あれこれ思案しはじめた時、的確な言葉にならなくてやきもきしている時、ぐるぐるしたエネルギーで伝わってきます。
どんなにまっすぐに対峙していても、現時点で口にしてみたことが、後からなんか違ったということは、ごまんとあります。
これは在り方とは関係なく、時間が解決します。
これを、成長と、呼びたいです(笑)
人は、在り方で、つながるものです。
生ある貴重な時間を、まっすぐ、今ここに、存在しない人とともに費やす意味は、わたしにはもう見つけられない。
それはたとえ相手が、自分を思ってくれてのことでも。
今、ここで、時間を一緒に生きているのに、今、ここに存在しようとしない人と、時間を共にしている矛盾は変わらない。
ただこの場合、より強く感じるのは、わたしではなく相手の方なのでございます。
相手が「まっすぐ、今ここに、存在する」人であればあるほど、相手がわたしに時間を費やさないので、これもまた解決します(笑)
自分の在り方を明確にして、できる限りその在り方に忠実に、かつ、相手へのリスペクトをもって表現できるよう努めよう。
なんか、春分だからか?改めてそんな思いを新たにしました。
身近な皆様、いつも、言いたいことを、言いたいままに、直接言って、本当、本当ごめんなさい(笑)
大好きでーす!
今ここに一緒に生きていてくれてありがとうー!!
写真を整理していたら、10年前、宏さんに出会った夏に、撮ってもらった写真が出てきた♡