自分の第一の理解者として生きた先に
理解されるから
やるんじゃなく必要とするから
やるんでもなくどうしても
やりたいことをやるそうやって
自分の第一の理解者として
自分を必要として(重んじて)
生きた先に理解も
仲間も
待っていると思います
先日、友人から届いたメッセージ。
「求められる」を求める自分
「必要とされる」に逃避する自分。。。
わかってたつもりを、砕かれた。
・・・
「わたしが、そう思ってる」
「わたしが、したい」
「わたしが、嫌だ」
すべての主語が「わたし」であるとき
一寸のごまかしも、すり替えもなくなる
そこへの完全シフトが、今、なんだな。
目に見えるこの世界は、全て自分だ。
写真に映る影だって、結局自分だ。