福岡正信著「わら一本の革命」

数日前、夢中で読んだ、
福岡正信著「わら一本の革命」

この世には、なにもない
人間は、なにもしないのが、いい

著者が自身を『無用論者』と呼ぶその感覚は
わたしもこの10年、痛感してきた。

断薬から徹底して食べ物と暮らしを見直しながら
311そして原発事故があり、
それでもなお止まらぬ、人間の欲と不安と経済の本質、政治の実情、破壊される自然に言葉をなくし

人間はなんて愚かなのだろうと
怒りを通り越して絶望に近い気持ちで
目の前の仕事と人間関係が続けられなくなって。

出口のない詰まり感と対峙しながら
でも愚かな人間のひとりこそが自分であり、
そんな不安と欲の経済のなかに
将来像を確保したがっていた自分を知り。

まずは自分自身が脱却するしかないと、
ひとつひとつ手放してきて。

そうして今、わたしにとっての真実から
世界を見、生きしているわけだけれど

ひとつ見えたからこそ、また次に見えるものがある。

それが、人が見る世界は主観だ、ということ。

本当のこと、本質、真実、正解、答え、法則、摂理、自然、宇宙、星、神、

いくらでも言い方はあるけど
人の語ることは
「その人がそうだと信じていること」
「その人が、その人の視点で観察してきた世界」にすぎないということ。

著者は綴る。

『自然には本来、東西があって東西がなく、左右も、陰も陽もない
中心中庸といっても、所詮人間の立場からみた相対的な中心中庸にすぎず、
絶対的な中心中庸とはなりえない』

そう。。。

なにかの比較対象や否定対象をもって
人は、分別を語り、
自分には価値があると、思い示したがる。

でも、人間にそんなに価値はないものなんだと
ただ命の営まれるままに、生きればいいのだと

そもそも、本を書き伝えるという行為自体を笑う著者。

おのずと然る
それが自然。

人間の愚かささえ自然なのだと
わたしは思ったりする(笑)

感じて、考えて、分別して
価値を見出し、示して
不足して、欲が出て、不安になって
また感じて、考えて

そうした体験自体を生きることが
生まれてきた理由なら

主観で生きればいい。
主語は「わたし」で語ればいい。
世界を創っているのは、自分自身なんだとわかっていればいい。

そこからなるべく客観的な視点を
持とうと努力すればいい。

自然は、人間の愚かさを
包括できるから、創ったんだろうし。

人間よ、
いっぱいの愚かさからほんの少しでも
愛と美しさを創り出すことができるか?
の、実験なんだろうし。

なーんて、朝から主観的分別を語ってしまう愚かなわたし(笑)

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