東京の便利さや洗練から想う、人と人との間の美しさ
今日から都内に戻って、まずはIKEAへ。
必要十分の、シンプルな家具と
必要十分の、ミニマムな生活用品を揃えて
いつでも動ける軽さと
ゆったり安心できる空間の設置と
東京〜八ヶ岳と、毎度持ち運ぶものと
それぞれに置いておくものと
細々、バランスを探っています。
IKEAからの帰り道、
携帯でパッと撮っただけの粗めの写真だけど
東京の家、東京湾岸の高層マンション群。
八ヶ岳にお気楽に遊びに行っていた頃は
八ヶ岳から東京に戻ってくると
どろーんとした沼のような気分になっていたのだけれど
この1ヶ月、八ヶ岳に住み
幾度と八ヶ岳ー東京を移動しながら
やっぱり東京も、ものすごくいいなーと感じてる。
東京には、人の、突き詰めていく力が溢れてる。
東京で生まれ育って、仕事をしてきて
自分が幼く青かった頃は
東京は「競走」の街に感じてた。
誰かよりも、秀でることに
誰かよりも、早く、多く、先に、と。
でも今、いろんなことを削ぎ落として
なお、自分自身に残る「こう在りたい」という気持ちを
たぶん「向上心」と呼ぶのだろうけど
誰かに知らせるためでもなく
何かに勝つためでもなく
淡々と自分のために
黙々と気持ちよさのために
やり続けていること
やらずにはいられないこと
その感覚を改めて見直してみると
そっか東京には、そうした人の向上心や
突き詰めてきた行動の結果が
物資として、たくさん、輝いているんだーって
実感するんだ。
わたしさ、生きるってそんなに
キレイなことだと思ってないの。
生きていれば存在だけで美しい!と言えるのは
存在そのものが美しいほどに
いろんな事情を、人知れず処理してきたからで
自分の尻拭いもできない者が
存在するだけで美しいなんてことは
やっぱりないんだよ、
あるとしたら、誰かの好意の上に成り立ってるんだと思う。
もちろん人は、1人では生きられないから
誰だって人の中で生きている。
でもだからこそ人間は
マナーを作ってきたんだよね。
隣の人とも、心地よく
知らない人とも、温かく
食事は、音を立てず食べましょうとか、
排泄は、トイレで行いましょうとか、
顔を合わせたら、挨拶をしましょうとか、
人の領域は、侵さないとか
共有の領域では、自分のエゴを持ち込まないとか。
日本には、マナーの教育があまりないけど
マナーは最初からあるものではなく
世界すべてのひとりひとりが
努力をして身につけてきた「スキル」だということに
気がつくといいよね。
知らない、できない、やりたくない
そう開き直ったその瞬間から
人としての美しさは、宿らなくなるから。
前は、東京の明かりを
こんなに人がたくさんいて鬱陶しいなぁとか
人工的で自然を壊して云々とか、思ってた。
でも今、この明かりひとつひとつに
人がいて、家族がいて、
努力があって、温かい愛があると
しみじみ感じるようになってきて。
東京の便利さや、洗練さは、
この明かりひとつひとつから温められた人が
淡々と、黙々と突き詰めてきた向上心の結果だと、理解するようになってきて。
そんな東京における
プロフェッショナルな人とのプロフェッショナルな仕事は
やっぱり最高に気持ちがいい!と
改めて感じてて。
八ヶ岳は、自然とわたしとの間で
東京は、人と人との間で
それぞれがどう美しい存在であれるのか?を
教え、訓練してもらっている気がする。