【 ちからを自分に取り戻す 】
選べる自分へ、主導権を持つ
昨日、そう書きました。
わたしがこう思うようになったのは
自身の病との付き合い方が関係します。
わたしは小さい頃から
長く病院通いをしてきました。
3歳頃発症した左脚の白班。
その治療のために、
長い間、皮膚科に通っていました。
その治療は
「メラニン色素の不足を補う」ためでした。
18歳でうつと診断されて以来
12年半、向精神薬を飲んでいました。
その服薬は、
「セロトニンの不足を補う」ためでした。
小さい頃から痩せていたわたしは
いつも「体重の不足」を言われていました。
低血糖で倒れ、病院に行ったときも
「糖の不足」を言われました。
その後行ったオーソモレキュラー療法でも
「栄養素の不足」を言われました。
こうしてずっと「不足」に向き合い続け
それらを「補う」ために
たくさんの治療を受け、薬を飲んできました。
でも、補いきれたものは
ひとつもなかった。
あんなにたくさん治療を受けたのに
白班もパニックも、血糖障害も
いまも、変わらず、ここにある。
だから、わたしは思ったのです。
補い続けるのは、もう嫌だ。
補い続けるのは、もう無理だ。
補うことをやめました。
そして、「ちから」を考え始めました。
ちからは、補うものではありません。
補えるものでも、ありません。
ちからは、
すでにあるものであり、
それに気づき、鍛えるものです。
持って生まれた「いのちのちから」
わたしはそのちからををずいぶんと
医師と薬に預けてきてしまったことを
知りました。
だから、いま、思うのです。
誰かに、なにかに、
預けてしまったその「ちから」を
もう一度、自分に取り戻しませんか。
選べる自分であるために
選べるちからをつけていきませんか。