【 医療は推測 】
わたしが学ぶホメオパシーでは
こころの病や精神の病の一部には
身体の症状を抑えたことから
起こるものがあると考えられています。
抑える身体の症状の代表は
皮膚の症状です。
皮膚は、身体なのかで
もっとも広い臓器(器官)です。
そして、代謝の早い臓器(器官)です。
だから身体が
なにかを外に出したいと思ったとき
皮膚を使って出そうとすることは
とても自然なことなのだと思います。
その皮膚の症状を
もしも押さえ込んでしまったら
身体が外に出したかったものは
身体のどこへ行くのでしょう?
ホメオパシーには
病が治っていくときには
ある法則があるとされています。
① 上から下へ
② 中から外へ
③ 心から体へ
④ 重要な器官からより重要でない器官へ
⑤ 逆順序の法則
⑤の逆順序の法則とは
病がよくなっていくときは
病が深くなっていったときの
逆の順序でよくなっていく
という意味です。
つまり、病が進むときは
この法則の逆に進むということです。
① 下から上へ
② 外から中へ
③ 身体からこころへ
④ 重要でない器官から重要な器官へ
こういう方向性が見えたら
より病が深まっていっていると捉えます。
医療では、起こったその症状を見て
いのちの中ではなにが起きているのかを
推測します。
「病院」では
精密な検査や過去のデータから
かなりの確率でこうだろうと
推測できるものもあります。
また、手術のように
身体にメスを入れて身体を開き
「見る」ことができる技術もあります。
時をさかのぼって推測している余裕なく
一刻を争うと感じるとき
それらはすばらしい助けになります。
ホメオパシーでは
いのちの営みは、いつも
「起こった後」にしか捉えられないと
考えられています。
身体やこころに
なにかが出て見えたときにはじめて
「いのち」が病になったのではなく
最初に「いのち」がバランスを崩したから
結果として症状が出て見える、と。
つまり、いのちの営みを捉えられるのは
いつもそれが過ぎたあとということです。
だからわたしは思っています。
優れた技術で「いま」は見えても
「これから」はやっぱり見えない。
刻々と生を営み変化しているいのちは
どんなものにも捉えきれない。
いのちの営みはいつでも
いのちの中で調和している。