【 愛を感じるちから 】

 

140702

外見上のコンプレックスを感じている方にとって
ひとの視線はきっと
それなりに辛いものだろうと思います。


他のひとから見て
どんなに小さな、目立たないものであっても

それを問題だと感じている「こころ」には
とても大きなものに感じられるからです。

わたしもずっと
ひとの視線にとても敏感でした。

ひとが自分を見る目

それがとても嫌でした。

白班を気持ち悪いと言われたり
白班はうつると言われたりすることが増えて

ひとの視線を感じるたびに
自分を醜い存在だと見ているのだろうと
思い、悲しみ、腹を立てていました。

そんなわたしの「こころ」を
ほぐしてくれたのは
「声」でした。

その脚はどうしたの?

そう、声をかけてもらえると
わたしは白班を説明することができました。

そうなんだ~
痛くも痒くもないんだね
うつることはないんだね、と

理解してもらえることができました。

だからわたしは思っています。

ひとの目は
コミュニケーションがあってはじめて
「暖かさ」をもつものだと。

道ゆく人々との視線の交わりも
学校や会社など、
いつもの空間での視線の交わりも

みんな同じなのだろうと思います。

だから、わたしたちは
挨拶を大切にするのだと思います。

そして
笑みを大切にするのだと思います。

目を合わせ、笑顔でおはようと言う。

そうしてはじめて
気持ち悪いもの、わからないものを見る
「不信の視線」から

認め、理解しようとする
「愛の目」になる。

暖かさをもつ、愛の目に。

わたしがいまだに
ひとに「説明」を求めるクセがあるのは
説明をしてもらえないと信頼を感じられないという
自分の「こころ」があります。

みんなわたしをじろじろ見る
なのに何も言わない

何か言ってよ!
何を考えているのか教えてよ!

言わないということは
気持ち悪いと思っているんでしょ!
わたしのこと嫌いなんでしょ!

「説明」を求めるこころ

不信な思いで見ているのではないと
言って欲しいと思うこころ

逆に言えば
それを求める大きさの分だけ
大きな大きな「臆病さ」があるということです。

昨日、
「バースマーク」ということばを
ご紹介しました。

バースマーク

あなたがあなたであるためのマーク

わたしは白班というバースマークを
まずは自分のために
与えてもらえたのではないかと思っています。

生きていく上で、とっても大切な
信頼を感じるちから
愛を感じるちから

白班をきっかけにして
人の視線を疑い、嫌うこころから
抜けていくことができるように。

わたしたちが
コンプレックスに思うもの
そして、その「こころ」

広い意味でそれはすべて
バースマークなのかもしれません。

それがあるから
最初は、疑いを感じ、苦しむけれど

すこしずつすこしずつ
信頼という愛を、感じていくこと

それができるようになったとき
わたしたちは自然と愛を放てるようになる

だから見つけてもらえるマークになる

それがあるから、あなたなのだから

それがあったから、いま
あなたは、愛を放てるのだから。

いつも本当にありがとうございます。

今日も素敵な一日をお過ごしください。

美在塾

美在塾とは、「本気で美しく在りたい女性のための」、人間であり、女性であり、ひとつの生き物である「多層な美しさ」について、ともに学び、実践していく場所です。

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