【soraさん】
フォトセッション・カジュアル@福岡お2人目のsoraさん
「生まれ変わっている」
そんな表現がなじむタイミングでの出逢いでした。
☆☆☆soraさんがブログに書いてくださったご感想☆☆☆
いつから写真を撮られることが苦手になったのかな。
特に一人で写真に写るとき。
いや、苦手というより、写真にうつる自分にがっかりするようになったんだと思います。
だから、写真が楽しくなくなったのかも。
一人で撮られるときは緊張するようになってしまったし。
私たちって、自分の写真を見るとき、
まず形の美しさを見てしまうと思うんです。
少なくとも私はそうです。
「あ、これは笑顔だからいいね」とか、
「これは、しわやたるみが目立つから消しちゃえ!」とかね。
私がここ数年、写真にうつる自分にがっかりするようになったのって、どこかで『昔の若々しき頃の自分が今の自分』って思っているところがあって、
「今の自分ってこうなのね」
っていう現実を認めたくない思いがあるからなんだと思います。
つい美肌に見せるアプリとか使っちゃうのも「そのままの私よりも少しでも綺麗に見える自分を残したい」っていうところがあるんでしょうね~。笑
今回のセミナーは、撮られることに慣れるということで、
携帯で自分撮りをしたり、ペアになって喋りながら
たくさん写真を撮られました。
途中から笑美さんにも、
これでもかってくらい
喋ってる私を撮られました。笑
ずーーっとカメラを向けられて、
恥ずかしいやら、落ち着かないやらで、
モジモジ、そわそわ・・・
「好きに動いてもいいよ」
といわれ、中途半端にポーズをする私。笑
撮ってもらった40枚くらいの自分の写真をみて、最初はがっかりしましたよ。
シミとかシワとかたるみとか、笑顔が美しくないとか、それはそれは嫌だなって思うところがいっぱいで。
「これは私じゃない」って。周りから見たらそのまんまなんでしょうけど。笑
う~、書いててどんだけ自己否定が強くって自意識過剰なんだって思ってきました。
「自分の写真も、鏡もちゃんと見て。
いやだな~って思うところは、
なぜ嫌だと思うのかそこに向き合ってほしいな」
1日目のセミナーが終わった夜、セミナー中の笑美さんの言葉を思い出し、スマホで撮ってもらったたくさんの写真をもう一度見てみました。
そこにいるたくさんの私。
そこにいる私は、いつもの決まった作り笑いはなくって、
喋りながら意識はカメラを滅茶苦茶気にして困った顔や真顔の自分、笑顔が崩れたような顔や変な顔や・・・初めは気になるところいっぱいで嫌だったし、ゴミ箱に送りたい写真ばかり・・・
でも何度も何度も自分の写真を見てるうちに気付いたことが・・・
それはね、
「あ、私生きてる・・・」
ってことでした。
ははっ・・・伝わるのかな・・・この表現。
でもそう感じたんですよね。普段の写真撮影では見れない、
たくさんの表情の自分を見てそんな思いが沸きました。
生きてるといろんな体験がやってきて、
そのつど、
自己否定したり、
嬉しかったり、
気を使ったり、
気がつかなかったり、
ムカついたり、
落ち込んだり、
人の目を気にしたり、
わくわくしたりしている自分がいる。
そんな風にいろいろなことを感じながら
一生懸命生きてる自分を垣間見た気がして、
何だかいとおしくなって、おもわず泣けてしまいました。
写真って「命の表現」だな~って。
笑美さんのブログに「中から出てくるものをつかまえる」
という表現がありましたが、
本当にそのとおりだな~
写真ってすごいな。
写真って、
今日ここで遊んだとか、誰と何をしたとか、
綺麗に撮れたとかなど、自分の外側の記録だけじゃなくって、
「自分の内側からあふれ出るもの」の記録でもあるんだなって。
その自分の内側を素直に出せたとき、
その瞬間を捉えた写真は、
シミやしわがたくさんあっても、
笑顔じゃなくても、
きっといい写真なんだ。
そして自分の写真をみるときには、形にとらわれすぎず、
今の自分ってこんな気持ちなんだろうな
こんなことに楽しいと思ってるんだな
こんなことに嬉しいと感じるんだね
不安なんだな、迷ってるんだな、
って、写真に写る「いまのわたし」
の内側にもちゃんと目を向けてあげることで、
「わたし」という自分をもっと知ることができるのかもしれないなって。
「自分の写真はもっとこうであるはず」という自己否定のフィルターをはずしてあげて、
今の自分の写真に向き合うことで、
「今の自分って悪くない」
ってありのままの自分を受け入れられるようになるのかもしれないな~って思いました。
キレイに撮れた写真ももちろん嬉しいけど、
そうではない自分ももっと認めていけたらいいな。
そして綺麗な写真だけじゃなく、
わたし自身が自分の内側からあふれ出るエネルギーを
もっと表現できたらいいな~って強く思いました。
本当にありがとうございました。
☆☆☆
「今」は「過去」の延長だけれど
どんなに素晴らしく美しい「過去」も
どんなに辛く悲しい「過去」も
実はとても曖昧なもの
なぜなら過去は「記憶」でしかないから…
だからこそ
過去を扱えるのは自分だけ
温めて育てるも
崩し去って手放すも
すべて自分次第なのかもしれません
生まれたてのsoraさん
素敵な時間をありがとうございました
soraさんのブログはこちら
写真:菅原宏