【自分しか頼れるものがない状況から】
今回の九州旅は
熊本は南阿蘇での
「キャニオニング」に参加するためでした
キャニオニングとは
川下り、渓谷下りのこと
つめた~い♪
きもち~い♪
きゃあきゃあ言いながら
楽しく川遊びをするんだと思って行ったら大間違い
この南阿蘇のコース
普通の人が参加できるキャニオニングでは
日本でもっとも難関とされるコースで
はじまってものの10分で
無駄口をたたく余裕はなくなりました
崖を、自分の足とロープで下りて
水に入ったところからスタートし
もちろん万が一のときはサポートが入るけれど
15人以上の参加者に
救助できる人は5人くらい
川底が見えず怖くても
水の流れが怖くても
意を決して飛び込んで
泳いでいかなければ先には進めない
流れが強い渓流も
ななめ45度の角度にむかって腕をパドリングして
向こう岸に渡り、川を上がる
諦めれば
諦めた分だけ流されるから
やるしかない
足下にはおぼつかない岩が転がり
岩の選び方や体重のかけ方を間違えると
途端にバランスを崩して転倒、落下しかねない
手も足も徐々に疲労してきて
つった足も感覚がない
それでも目の前には
落ちたら頭を打って死ぬんじゃないかと思う崖が現れ
ここに手を置いて
ここに足をかけて
このタイミングで重心を移動して、と
ひとつひとつひとつひとつ
身体に意識を集中させる
そんな
自分の身だけが頼りの状況
だからこそ
川の流れに身を任せられたときは
本当に空が、緑が、水が、太陽が
キラキラきらきら光って見えて
力を抜くというより
おのずと力が抜けていった
滝の重さに抗して立つ自分
水とともに流れる自分
それはとても紙一重に思えたと同時に
そうか生きるってことは
生かされていることと
生きようとすることの
半分半分なんだと感じていた
いったい何時間、川を下っていたのだろう
川にはもちろん時計もなにも持たずに入るから
時間の感覚がよくわからないけれど
多分4、5時間は下っていたのだろうと思う
川を上がり、
ジビエのBBQを遅いランチに戴く
動かした身体の隅々に
食べ物の旨味とちからが染み渡り
食べられるということから湧く笑顔と
仲間との一体感でいっぱいになった
身体のあちこちを
打ったり切ったりした痛みは
いまここに生きている証だと感じられ
冷えた身体も
上がった息も
怖かった気持ちも
すこしずつ平静を取り戻して行く自分の身体に
ああこれを恒常性というんだ
わたしたちはかならず
時間とともに戻れるんだ
それがいのちなんだなあと
改めて思った
前にも少し書いたけれど
基本的に個人行動の多いわたしは
4日間もみっちりと
1人になることなく人と一緒に過ごすこと自体
大人になってからは初めてのことかもしれません
でもたぶん
わたしは今回の旅で
ここにも自信がつきました
キャニオニングで
「自分しか頼るものがいない状況」というのを
しっかり経験したことで
自分と他者との関係
そう、「自立の先の共生」が
身体でわかるようになった感じ
4日間もチームで一緒にいれば
以前からの不満や疑問がどうしても露呈して
それなりに感情のもつれが炙り出されます
以前のわたしだったら
きっとそれに疲労し、ため息をつき
だから集団行動は嫌なんだよ
1人になりたいよ
と、思っただろうし
人というものに
いらない無駄な気を遣って
勝手に自分が疲れてしまうみたいなことが
起こっていました
でも今回は違いました
わたしはわたしであり
人は人であり
わたしに起こる感情は
自分から自分への問いと答えを繰り返して消化でき
人に答えを求めることも
人に承認を求めることも
必要ないのだなあとわかったし
質問はする、意見は聞く
でも
相談はしない、しなくてもいい
そんな感じ
人と人の間で起こる感情のいろいろは
お互いが時間をかけて話し合い
お互いが学び、自身を成長させ合い
それが問題を解決する方向なのか
ねたみや自己充足のためのものなのか
それぞれが
考えるちからをつける必要があると思うし
そしてそれはいつでもそれなりに
時間がかかるものなのだと知っていること
やっぱりそれが一番大事だな~
と
そんなことを学んだ
南阿蘇キャニオニングツアーでした
以上
つぶやきのような旅日記ですが
なにかみなさんのこころと
リンクする部分があるといいな
これは来年の夏も企画されるそうなので
お子さんにはぜひトライしてみて欲しいな~
生きるってどういうことか、
自分で掴むことができると思います
そして自分とは何か?を探している方にもオススメです
大きな自然の中で感じるいのちに
きっと答えを見つけることができるはず
は~やっぱりいいね~
成長の夏♪
8月いっぱい楽しみましょう!