「平気でうそをつく人たち」
これはすごい本だなぁ…
英語版初版は1983年、30年以上も前だけど
人の心理は普遍なのだね…
すべての困難は
成長のための糧であると信じているけれど
それでも人のこころには
悲しいかな「邪悪性」が存在することを
目を逸らさずに論じてくれた素晴らしい本
自分の感受性が高すぎるからとか
自分の捉え方が未熟だからとか
その人の立場にならなきゃわからないことがあるとか
自己内省をし
「相手を思いやる」ことは
出来うる限りやった末に
それでも相手がまったく
自己内省をせず
「こちらを思いやってなどくれない」という事実は
やはり存在するのだと
認識しておくほうがいい
だってその人は
「自分だけの世界」に生きているから
その人にとって他人とは
自分を満たし、思い通りに物事を進めるために
利用するコマであり、道具でしかない
それは子供であったり
パートナーであることは結構多く
家の中での不当性を隠すために
体裁を保ち
「うそ」が重ねられていく
愛しているから
愛されたいから
どんなに不当にあつかわれても
どんなにアイデンティティを踏みにじられても
耐えていたい?
そうされるのはわたしのせい?
そう受け取るのもわたしのせい?
わたしたちは
耐えるために生まれてきたのだろうか?
生きるために耐えることを学ぶのではないか?
なにより本来の「耐える力」とは
不当な扱いに殺されまいと
防御する力ではなく
自分自身が進む道で
自分の失敗だったり
うまくいかない困難に遭遇しても
乗り越え人生を切り開いていくために
恥ずかしく情けない自分を受け止める
「逃げない力」であるはず
著者は記す
邪悪な人間は
自責の念、つまり自分の罪、不当性、欠陥にたいする
苦痛をともなった認識に苦しむことを拒否し
投影や罪の転嫁によって
自分の苦痛を他人に負わせる
自分自身の不完全さから目をそらし
それを人のせいにする人間のこと
だからこそ
邪悪な人間とは
失敗や問題を起こし苦しむ人間ではなく
失敗や問題から目を背け続け
「苦しみから逃げ続ける」人間のこと
自分のためにも
クライアントのためにも
本当に読めてよかった
自分の邪悪性を内省しつつ
それが育まれてしまった環境も俯瞰しつつ
しばらく無口になりそうだ(笑)