チーム美在塾結成ストーリー ②
美在塾は2年半を経て一つの成功を収めた
と書きました。
それは、
塾生の中に芽生えた「自信」であり
また
塾生たちの間に溢れた「笑顔」だった
と書きました。
そうした自信や笑顔を支える
「目に見える(客観的な)結果」としては
・結婚が決まった
・長年の不倫関係を終わりにした
・離婚をした
・ブログでの発信を始めた
・自身の経験を活かして、個別相談を始めた
・尊敬する人のもとで、仕事を始めた
・より待遇の良い会社から引き抜きの話がきた
・オンラインでセレクトショップを始めた
などの事象が現れていました。
もちろん
・漠然とした健康への不安がなくなった
・長年抱えていた食べ方への悩みが解消した
・諦めていた「性」の喜びに目覚めて毎日が最高に楽しくなった
など
目には見えない
「確かな内側の変化」を
伝えてくれる塾生も、たくさんいました。
こうして美在塾という場は、
(全員ではないけれど)多くの塾生に
「人生が変わる」
大きな変容が起こる場になっていました。
前回の投稿で
美在塾は、わたし菅原笑美子が
【自分が望む世界は、自分で作る】
そのための活動だったと書きましたが
ゆえに文字通り、美在塾は
わたしのこだわりを
徹底的に形にして、作っていきました
・会場
・テキスト
・お渡しする美のアイテム
・休憩時のおやつ
・3ヶ月という時間
・記録写真のクオリティ
などなど
美在塾、という場を持つこと
そこで過ごす時間自体が
自分の夢の実現なのだから
そうじゃないものを入れる意味なんて、
どこにもないと思っていたのです。
そうして2年半の間
【願う世界がすでにある】
という状態を、作り続けた結果
「自信」と「笑顔」が
来てくれる人の間にも
時間差で自然と生まれていったのでした。
さて、
冒頭に戻ると
うまくいっているのに
なぜ限界を感じたの?
それは
願いは確かに叶ったけど
【わたしが願った世界しか実現しない】
ということにも気づくことになったから。
美在塾にとって一番重要だった
塾生の「自信」と「笑顔」は
無事、形になりました。
自分の手で
1から何かを作ってみたことがある人は
きっとわかると思うけれど
その「形になったもの」をみるとき
わたしは、自分の力を、知るのです。
できたことも
できなかったことも
自分の力も
自分の力のなさも
強みも
弱みも
2年半という時間をかけて
自分がやってきたことの結果を
目の前に、みることになるのですよね。
作れたものは、自信と笑顔。
思ったより作れなかったものは
たとえば時間(スピード)
たとえば利益
たとえば数(認知)
ものごとは、形になった時点から
崩壊がはじまっていく摂理だから
もし美在塾を続けたければ
「これ」を超える
自分ひとりで描ける成功を超えた
人の力が必要だと思ったのです。
「わたし」だけではできないことを
一緒に形にしてくれる人がほしい。
これは、
夢中で走っているときには見えなかった。
課題や摩擦ばかりを感じているときには見えなかった。
ああ、ここまできたなぁ、なんて
一息つける気分になって初めて見えてくる
辿った道(費やした時間、経費)
意図した願い、意図しなかった欲
そして自分の力、その限界。
2年半の経験が、教えてくれたなあと思っています。
さて
美在塾を続けていくことを選んだわたしに
「わたし」だけではできないことを
一緒に形にしてくれる人がほしい、と
思ったわたしに
浮かんだ選択肢は2つでした。
次回へ続きます
自らが美しく自立した’モデル’であることで、社会に希望と優しさを増やす
◆チーム美在塾