わたしの記憶の中のあの日
あの日わたしは10歳でした。
幼いわたしの記憶が事実かどうかは
定かではありません。
わたしの「思い」に
焦点を当てて読んでいただけると幸いです。
祖父が亡くなったとき
祖母は、胆石手術のため入院をしていました。
祖父の死の知らせを受けて、
一時だけ帰って来ることになっていました。
長女の母をはじめとして大人たちはみな
祖父が自死であることを隠していました。
わたしたち子供には、
祖父は急な心臓発作で倒れ
転げ回って傷ついたと伝えられました。
しかし、一方で
「自死であることを祖母に伝えないように」と
母たちが話しているのも聞こえました。
術後で管のついた祖母が
祖父の隣に運ばれてきました。
わたしが祖父の傷んだ顔を見たとき
怖くて足がすくみ、息が止まる思いがしました。
祖母は、祖父と最も近い人です。
祖母がどういう顔をするのか
わたしはじっと見ていました。
祖母は、顔色を変えず、涙をこぼさず
うんうん、そうかそうかという風に、ただ頷きました。
翌日、火葬場で最期のお別れとなったとき
気丈に振る舞っていた母の心が壊れました。
取り乱した母を
父と親戚の男性たちが必死で押さえました。
ひとが狂うという姿を
初めて目の当たりにしました。
わたしは手も足も、声も出せず
ただ呆然していました。
実はその前日、通夜の前に
祖父と一緒に住んでいた2つ下の従姉妹が
祖父の死の詳細を、わたしに語りました。
「誰にも言わないでね」と打ち明けられたその内容は
わたしたち幼い子供のこころには
抱えきれるものでは、ありませんでした。
一緒に住んでいた彼女が詳細を知っていることは
大人の誰もが知っていても
わたしがそれを知っているということは
誰も知りませんでした。
一番すがりたかった母は壊れてしまい
父も、母を守るので必死。
わたしはその恐怖を
一人、小さな胸にしまいました。
「支え」がありませんでした。
もしもあのときわたしが、
赤ん坊のように泣いてわめいて
父や母にすがりつくことができて、
もしあのときあの場にいたすべてのひとが
自分を保とうなんて無理をせず
おんおん泣いて、怯えてすがって
動物が傷をなめ合うように
お互いを抱きしめ合うことができたら、
わたしたちは、もう少し
楽になれたのかもしれません。
足のすくむ思い、息が止まる思い
支えが欲しい、誰にも言えない状況
わたしのパニックの症状が
あのとき感じた「感覚」とまったく同じであると気付くのは
それからずいぶん先のことでした。
自分を振り返るために
綴りはじめたこの物語ですが、
思いの外、長くなってきました。
わたしたちはそれぞれ
いろんな辛い経験をして
今まで生きてきたのだろうと思います。
実はこれを書きながら、
わたしだけこんなことを書くべきではないかなと
思ったこともあります。
でも、コメントやメッセージのなかで
わたしは「共感」という愛を受け取り始めました。
きっとひとは、経験そのものではなく
そこから受けた「印象」「感覚」「思い」に
こころを揺さぶられ、苦しむのですよね。
あなたの「思い」がよくわかる
だって、わたしも、そんな「思い」を経験してきたから…
「共感」という愛のなかで
それぞれの「思い」が癒され昇華していくこと。
いつもありがとう。
そのありがたさを、いま感じています。
写真:
義父の実家、岩手県北上川で初めて見た 「灯籠流し」