母の支え
18歳のわたしに話を戻します。
高校を卒業して浪人生活を送りながら
5月に電車の中で
パニック発作を起こしました。
外出が怖くなって予備校へ通えなくなり
食べ物も本当に喉を通らなくなり
心療内科の戸を叩きました。
そして「抑うつ状態」と診断され
抗うつ剤の服薬を始めました。
以来、わたしは
「うつの症状」でもあり
「抗うつ剤の作用」でもある諸症状を
経験していきました。
悪夢、発狂、幻覚、不眠、
だるさ、冷え、低血圧、ホルモン異常、、、
ぼーっとテレビを見ている
そして、唐突に泣き出す
食べなくちゃ、でも食べられない
死んではいけない、でも楽になりたい…
廃人のようでした。
心療内科の診察は、
母曰く「実に淡々としたもの」でした。
痛いと言っても擦ってくれる訳でなく
悲しいしんどい、よくならないと言えば
「うつが悪化しているんですね」で次の薬。
わたしは、あの頃飲んでいた
薬の数も名前も、実は医師の顔すらも
あんまりよく覚えていません。
ただ、苦しさが増していく日々。
わたしが悪いんだよな、と思っていました。
本当に情けなくて
毎日しくしく泣きました。
そんな状態でも
わたしが生きていられたのは
母の支えがあったからです。
母は勤めていたパートをすぐに辞め
すべての時間を、わたしと
一緒にいてくれるようになりました。
実父を自死で亡くした母にとって、
同じ「うつ」という診断を受け
生気なく泣くばかりの娘を見ていることは
本当に怖く、苦しいことだっただろうと思います。
亡くなる前の祖父に
「頑張れ!」と叱咤激励した自分を
ずっとずっと責めていた母。
その母が、ふたたび自分の娘に同じ境遇をみたあのとき
わたしから目をそらすことなく
向き合いつづけてくれたこと
「わたしにとっては」
望ましくなかった母との関係が
ここから少しずつ変わっていくことになります。
年が明けて、
母の付き添いのもと唯一受験しに行けた京都の大学から
合格通知が届きました。
転地療法、という思いで
京都に行くことを決めました。